今注目の大河ドラマ「光る君へ」
紫式部の半生を鮮やかに辿る物語に、人気が高まっています。
この記事では、作中で使われた印象的な、あの和歌について深掘りします。
紫式部(まひろ)との恋が気になる藤原 道長が謳いました。
- 藤原道長が謳った和歌の意味を解説
- 単語それぞれを解説
- 元になった和歌を解説
- 和歌を謳ったシーン解説
- 視聴者の反応
タイトル | 光る君へ |
配信 | NHK |
放送時間 | 毎週日曜 20:00(NHK総合) |
再放送次巻 | 毎週土曜 13:05(NHK総合) |
キャスト | 紫式部(まひろ)–吉高 由里子 藤原 道長———–柄本 佑 源 倫子————-黒木 華 藤原 道隆———–井浦 新 藤原 実質———–秋山 竜次 等 |
【光る君へ】藤原道長が謳った和歌の意味を解説!
『 ちはやぶる 神の齋垣も 超えぬべし
恋しき人の 見まくほしさに 』
ちはやぶる かみのいがきも こえぬべし
こいしきひとの みまくほしさに
私は、越えてはならない神社の垣根も踏み越えてしまいそうです
恋しいあなたにお会いしたくて
それぞれの言葉の意味
この和歌は第6話「二人の才女」の終幕間際に、道長からまひろに送られます。
もう、切なさに溢れてるこの歌、大きな反響を呼びました。
単純に現代語訳しただけでも、道長とまひろの関係を見事に表しています。
しかし、意味を深く知れば知るほど、この和歌の真の威力に気づきます。
「ちはやぶる」
所謂、「 枕詞 」です。
「 神 」が力強くある様子を表し、「千早振る」などと現代語訳され、「激しく、急激に動く」といったような意味が解説されます。
でも正直、この解説、違和感があります。
だってそれ、「荒ぶる」と一緒です。
それに「ちはやぶる」は、もっと何かある、と感じる神秘的な言葉です。
違和感の答えをくれたのは、漫画「ちはやふる」の一節でした。
- 千早振る = 毎秒何千万回もの高速回転で起きる振動
- 静止したように見えながら、猛烈に旋回する独楽の様相
- 一点集中であり、同時に八方へ発露する
- 美しく、極限まで均一な力の有り様
これこそ「ちはやぶる」でしか表現できない力の姿です。
対して「荒ぶる」は、粗野で横暴、煩雑で不安定な、爆発を思わせる力と有りました。
静かな様子で有りながら、触れればその手が消し飛ぶ、そんな確信をもたせるような、神の威勢が宿った壁が、まひろとの間にある。
それでも、とこの歌は伝えています。
「神の齋垣も」
株式会社 高伸 公式HP
https://koshin.biz/?p=2570
「 斎垣 」(いがき)は、神社の周囲や御神木を囲うように設置される垣のことです。
「神の」とつきますが、そもそも斎垣は清められた神聖なものです。
踏み越えてはならないとされており、「神の」とつけることにより、まひろと道長の立ち位置に大きな隔たりがあることをより強調しています。
でも、この一節で注目するのは「 も 」です。
畏れ多く、触れることすらもできない、まひろがいる領域
それでも踏み込もうとする、現状への強烈な反発が示されます。
「越えぬべし」
今回、この歌を読み解くに当たって多くの解説を目にしました。
この一文にはどの解説もほぼ同じ意味が当てられます。
「越えてしまいそうだ」
確かにそうです、他に当てようがありません。
でも、直訳を考えてみると、「越えるべきではない」ですよね。
- 「分かってる、分かってるんだけど!」
ここに込められたのは、このもどかしさでしょう。
「恋しき人の見まくほしさに」
「見まくほしさに」とは、「逢いたい気持ちのために」と取れます。
問題は「恋しき人の」です。
実はこの和歌は、極めて有名な既存の和歌を一部変じて作られた替え歌なんです。
「恋しき」の一箇所が変えられました。
つまり、道長自身が作った言葉は、たった一言です。
この歌の通りの心情を、道長は伝えようとしていた事でしょう。
しかし…
- どうしても伝えたい思いは、一箇所だけ
- 才女、紫式部なら、一瞬でその意図と思いを汲み取る
私は、越えてはならない神社の垣根も踏み越えてしまいそうです
恋しいあなたにお会いしたくて
直訳では書き出せない意味を踏まえて読んでみると、この歌、ヤバいです。
元となる和歌が他にあった
ちはやぶる 神の斎垣も 越えぬべし
大宮人の 見まくほしさに
新潮日本古典集成
「伊勢物語」より
神を祭る神聖な垣根も越えてしまいそうです
都人を一目見たさに
これは紫式部や藤原長道らの時代よりも前に作られた「伊勢物語」に登場する短歌です。
伊勢物語 | 在原業平を思わせる男の恋愛を中心にした短歌を集め、 これにまつわる短編を篇選したもの |
実は、この短歌は斎宮(伊勢神宮に奉仕する皇女)に仕える女房(秘書と家庭教師兼務)が謳っています。
- 勅使として訪れた男に対する思いを、神の斎垣の内側から女性が謳った
- 女房とまひろの立ち位置はぴったり同じ
- 道長とは正反対
もしかしたら、
「まひろも同じ思いなのでしょう?」
こういった意味も乗っけてあるかもしれませんね。
伊勢物語は、紫式部の時代に宮中で大いに流行っていました。
このあたりの巧妙さで、「光る君へ」がいかに綿密に作り込まれているか、伺いしれるところです。
【光る君へ】和歌を謳ったシーンを解説!
このシーンは第6話の終盤に訪れます。
5話までの話し…
まひろと道長は幼少の頃に出会いました。
身分の差のため、そしてまひろの母に訪れた悲惨な運命のために、二人は親密になることなく離れ離れになります。
数年後、二人はお互いに淡い思い出を心の支えに成長し、町中で再開しました。
道長はまひろに名前を偽り、右大臣の息子という身分も明かしませんでした。
しかし…
- まひろは道長の正体を知ることになる
- 母親を殺した男の弟が、道長
後にまひろ・紫式部が書き上げる大傑作、「源氏物語」で特に印象的な場面に使われる「六条の荒れ果てた屋敷」
この場所で、まひろは道長に事実を伝えます。
道長は衝撃的な告白にも「まひろを信じる」と返しました。
長年胸に秘めた思いを吐露し、道長の理解を得たまひろは、あえて道長と距離を取るためにも、道長と敵対する勢力の間者(スパイ)として宮中に通いつづける決意を固めます。
父、兼家とのやり取りの中で、
自分がまひろを不幸に貶めた一族の一人なのだと自覚
兼家から政略結婚(当然、相手はまひろではない)を迫られている
まひろと道長の距離が心とは逆に離れていく中で、宮中での勢力争いにより開催される漢詩の会にまひろは参加します。
漢詩の会:漢詩の書き比べ。書いた漢詩でセンスが問われる
まひろは、参加者表で道長が来ないことをちゃんと確認していました。
だというのに道長は飛び入りで参加してしまいます。
目が合うと、まひろは動揺を隠せません。
道長は自覚した立場と裏腹に、まひろに近づきたい思いを募らせました。
その日の夜が、あの短歌の場面です。
- 屋敷の奥で一人、届いた短歌を静かに詠むまひろ
- 黙って短歌を抱きしめる
視聴者のため息が聞こえてくるような、見事な演出でした。
和歌を謳った時代背景
「光る君へ」は平安時代の日々を画いたNHK大河ドラマです。
実際、残っている資料から読みとけるのは、貴族や庶民の生活は倫理観に基づいた極めて社会性の高いものであり、優れた時代であったということです。
- 平安時代に書かれた物語の出来が良すぎ
- 遊んでる男性や恋愛事情ばかりが目立った
こういった事情から平安時代は少し誤解されていたかもしれません。
藤原氏が支配する世界
藤原氏内での権力闘争が凄まじい
平安時代は、内政闘争の時代でも有りました。
こういう感じで二人は敵同士です。
- 『 権力者の親 』が最強のステータス
- 政略結婚が鍵 → 恋愛重要
現代に当てはめた時の解釈
- ロミオとジュリエット
-
この和歌のシーンは、「どうしてあなたはロミオなの」の場面にとても似ています。
- 設定はほぼ一緒
- ロマンティックな言葉や仕草で大仰に見せるのか、31音に全てを込めるのか
同じことでも全く違って感じられます。
- 小室圭さん・眞子さん夫妻
-
現実の事情と作中の設定は若干ずれますが、恋の困難さについては、この二人が良い参考になるかと思います。
- 藤原 道長ですら成し得なかった偉業
そう考えると圭さんは本当に凄いですね。
このシーンを見た視聴者の声
【光る君へ】ちはやぶるの意味を解説|まとめ
『ちはやぶる 神の齋垣も 超えぬべし 恋しき人の 見まくほしさに』
それぞれの言葉の意味を紐解くと…
- 身分差も敵か味方かも関係ない
- 危険極まりない壁も越えてしまいそうだ
元になった伊勢物語の和歌は、
『ちはやぶる 神の斎垣も 越えぬべし 大宮人の 見まくほしさに』
- 神の斎垣の内側から女性が男性を思い綴った和歌
- 道長が自分で作ったのは『 恋しき人 』のみ
和歌を送るシーンは、平和でありながら内政闘争の絶えない平安時代が背景にあります。
まひろと道長が身を寄せる勢力はお互い敵対しています。
そんな中で、和歌を抱きしめるまひろの姿には、胸を締め付けられます。
今回は、作中で道長が謳った和歌に注目して、「光る君へ」を紹介しました。
ドラマの随所に源氏物語へつながる場面が散りばめられて、まひろの中でどのように収束していくのか、今後の展開も見逃せません!